昔、 京や江戸から北陸( 越の国 )に入るには 今庄 を必ず通りました。 昔の移動手段は徒歩が殆どなので峠を越して時間をかけて歩いて行ったものです。 今庄に通じる峠には 山中峠、木の芽峠、栃木峠 の3つがありますが、どの峠を通っても 今庄宿 を通ることになります。 なので丁度、今庄宿は 北陸への入り口(越の国:福井、石川、富山、新潟) になってるんですね。 また、今庄宿の手前には 嶺南山脈 と言う山があるのでこの山を越える前で一泊し、超えた時にも一泊して旅をつづけました。 ですから今庄宿は宿場町として発展してきました。 でもこの繁栄も江戸時代まで。 明治時代になると蒸気機関車が走るようになって足を使っての移動は激減した結果、宿場としての役割は完全に消滅しました。 その後は蒸気機関車の機関区が置かれたことによって一時は盛り返したものの、北陸線の電化によって今までの繁栄も終わりました。 ざっとですが、これが今庄宿の盛衰です。 さて、京や江戸から歩いてきた人は今庄宿に入る前にこんな道しるべが目に入ります。 これは最近造られたもので、道標はこちら 道標は元あった場所から少しずらして立てられました。 本当はここに建っていました。 右に延びる道は旧北陸道で山中峠と木の芽峠へと続いています。 真ん中の木が生えてるところに道標が移設されました。 まっすぐ伸びる道は旧北國街道で栃木峠に続いています。 右に曲がってる道は蒸気機関車が走っていた旧北陸線へと繋がっています。 今では舗装されて県道になっています。 道標を過ぎて宿場に入っていきます。 今日はここまで。 まだまだ続きます。