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稲荷神社

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矩折 (上木戸)からいよいよ宿場内に入っていきますが、その前に 矩折のすぐ傍に 稲荷神社 があるのでお参りしていきます。    ちょっと小高いところにあるので下からは良く見えません。  階段を上がっていくと・・・・・、    鳥居がいくつかあります。    拝殿が見えてきました。    少し大きな祠みたいですが、ここで礼拝を行います。  この稲荷神社はもっもとここにあったわけじゃなく、個人の家の庭に祭られていました。  個人でも所持することが出来るんでしょうか?  なので神社名鑑にも載っていません。   拝礼を済ませて上ってきた階段を下りて宿場に向かいました。  続く・・・・・・。

矩折(かねおり)

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今庄宿の特徴は他の宿場と違ってお城で採用されてるような仕掛けがあります。   宿場の入り口と出口に 矩折 (かねおり)が設置されています。   矩折 とは見通しを悪くして敵が攻めてきたときに道の先が見通せないようにしたもので直角に曲げたり極端に曲げていたりします。  では、道標を後にして歩いて宿場内に向かいます。    途中に稲荷神社に向かう参道があります。    この参道は途中崖崩れになってて通行禁止になっています。   こんな道が続きます。    ここが南側(敦賀方面)の 矩折 です。     道が二股になっててどちらに進めばいいのか迷わせます。  道の色が少し明るいのが街道です。    ここから今庄宿場内に入っていきます。   続く・・・・

今庄宿へ(京・江戸から~~)

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昔、 京や江戸から北陸( 越の国 )に入るには 今庄 を必ず通りました。  昔の移動手段は徒歩が殆どなので峠を越して時間をかけて歩いて行ったものです。  今庄に通じる峠には 山中峠、木の芽峠、栃木峠 の3つがありますが、どの峠を通っても 今庄宿 を通ることになります。  なので丁度、今庄宿は 北陸への入り口(越の国:福井、石川、富山、新潟) になってるんですね。  また、今庄宿の手前には 嶺南山脈 と言う山があるのでこの山を越える前で一泊し、超えた時にも一泊して旅をつづけました。  ですから今庄宿は宿場町として発展してきました。  でもこの繁栄も江戸時代まで。  明治時代になると蒸気機関車が走るようになって足を使っての移動は激減した結果、宿場としての役割は完全に消滅しました。  その後は蒸気機関車の機関区が置かれたことによって一時は盛り返したものの、北陸線の電化によって今までの繁栄も終わりました。  ざっとですが、これが今庄宿の盛衰です。    さて、京や江戸から歩いてきた人は今庄宿に入る前にこんな道しるべが目に入ります。    これは最近造られたもので、道標はこちら          道標は元あった場所から少しずらして立てられました。  本当はここに建っていました。    右に延びる道は旧北陸道で山中峠と木の芽峠へと続いています。    真ん中の木が生えてるところに道標が移設されました。  まっすぐ伸びる道は旧北國街道で栃木峠に続いています。  右に曲がってる道は蒸気機関車が走っていた旧北陸線へと繋がっています。  今では舗装されて県道になっています。  道標を過ぎて宿場に入っていきます。  今日はここまで。  まだまだ続きます。

今日から・・・・

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遅ればせながら今日から 今庄宿周辺の紹介 をしていこうと思います。   まずは私の紹介から・・・・・  名前は 赤星 弘毅 、以前は 福井県人(ケント) と名乗っていました。  約10年ほど 福井県を紹介するブログ を書いていたんですが、その時に使っていた名前です。  生まれも育ちも福井県南今庄ですが、ちょこっとだけ家を移動しました。  今では 農家民宿 とを数年前に開業しました。     また、今庄名産の 今庄の吊るし柿 を作っています。    これからは 今庄宿 と 福井県の紹介 と 吊るし柿のブログ を書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。  まずはご挨拶まで・・・・・。  期待してくださいね。